今回のワークショップのハイライトは、音楽練習の後の「物語コース」でした。市内で美味しいお好み焼きやホルモン料理を提供なさっている「若トラ」のご主人である中西さんにお越しいただいて、瓶原地区の昔話を教えていただきました。中西さんは昭和16年生まれの77歳。岡崎村のご出身です。酒造会社にお勤めでしたが、20年前に若トラを始められました。地元への愛着が深く、先輩方からも色々な昔話を教わってこられ、分厚い資料ファイルを見せていただきました。
ワークショップに参加されているのは、現在のところ母子が多いのですが、お母さんは加茂以外から嫁いでこられた方が多く、古い話はご存知ではないので、興味深そうに聞いておられました。これもまた木津川ワヤンの台本づくりのための情報収集の一環です。
いまの子どもたちは木津川で遊ぶのを禁止されていますが、昔は格好の遊び場でした。夏には泳いでいたそうです。本日参加していた小学生からは「いーなー、潜ったら魚がいっぱいおるんやろな」という声があがりました。そして、昭和28年8月の南山城大水害は絶対に忘れることがないそうです。松原から川をたどって牛が流れてきたそうです。当時12歳の中西さんは慰問のため友達と一緒に和束に行きました。犠牲者は336人も出て、住んでいた岡崎のあたりも水がつかったそうです。
こういった事件の他に、岡崎の坂について話をしていただきました。文化坂、番屋坂など。お嫁さんの興し入りのときは、坂がきつくて人力車であげるのも大変だったそうです。
その他、旧163号道路を木炭で動く蒸気自動車(トラック)が通っていた話などもしていただきました。
こんな話を聞いたので、私たちマルガサリのメンバーは急に岡崎の坂が見たくなり、ワークショップ参加の岩田さんの案内で、坂を登りました。確かにすごい急坂で、軽自動車では難しいのでは?と思わされたほどです。岩田さんには、加茂町史全5巻を貸していただきました。
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